2014-01-09

コルカタの旅 Vol.4 ウエストベンガルの村~幸せとは何か、考えさせられます --- Kolkata trip vol.4- Only Japanese

ウエストベンガルの村は、とってものどかでした。


一方で土地のない家庭は、生活が苦しいことが多く、
家を見るだけでもわかります。

たとえば、次の写真の家は、
手前の、もともと壁だったものしかなくなって、草が生えている部分に住んでいたのですが、
雨期の激しい風雨で壊れたそうです。


手作り感満載の家。

そりゃ壊れるでしょうと思いました。
材料も買えないと、あるもので済ませるしかないので、こうなったのではないかと思います。


後ろにある家(黒いビニールを壁に貼っている、窓が開いてるところ)は、
元々はNGOの支援で作った、鶏小屋です。
そこに今は住んでいます。
(窓のある家の後ろは、壁はくっついていますが、また別の家です。)

鳥小屋だったとしても、屋根と壁がある場所があったのが、
不幸中の幸いだったのかもしれません。

草が生えているのが、元々家の会った場所。
写真の女性は通りがかりの人。



これはまた別の場所です
2枚目の写真は、川にかかった橋と、お手洗い(右)。
トイレは川の上に出られるようになっていて、便器とかがあるわけではありません。


このトイレを使っている家は、家もところどころ壊れています。
経済的に恵まれない暮らしをしているので、
本来であれば国の、家を補修する支援が受けられるはずなのですが、
法律はあるものの、きちんと施行されていないので、恩恵を受けられていませんでした。


茅葺屋根の茅が・・・少ない。


この家は農家ですが畑がないので、
畑を借りるか、労働力を日当たりで売って生活するという暮らしです。

何人男の子を産めるか、育てられるかで、
家の働き手の数が決まり、収入が決まるという暮らし。
女の子は嫁に行きますが、
男の子は複数人いても、結婚しても実家に住み続けることが多いので、
その家の働き手であり続けます。





こういう家庭に行くと、
本人は、自分の生活のことをどう捉えているのかなと思います。


村の生活は、もちろん大変なことも多いでしょうが、
楽しいことも、たくさんあると思います。

村の人たちは大家族で暮らしていて、子どもがたくさんで、
子どもたちは、楽しそうにじゃれあっています。



どの家にも子どもの姿



そしてまた、私だったらこの暮らしは幸せなのかとも考えます。

いつも、考えても、結論は出ません。

私の暮らしとはかけ離れていて、想像が追いつかないからです。


生まれてからこのかた、熱を出しても、清潔な病院に行けない暮らし。
友だちと美味しいものを食べて、ワインを嗜むことはない。
家族はたくさんいて、みんなで、質素でも、ご飯を囲むのは楽しそう。
毎朝起きて畑仕事をするのは、健康的なのかもしれない。
でも休みたくても、休むと暮らしに困窮する。

と、巡り巡り考えますが、私にはまだまだ、ここの暮らしは理解できていません。



私は、人生、幸せを追求していきたいと思っているので、
よく自分にとっての幸せについて考えるのですが、
普段考えるときと、観点が違いすぎて、うまく考えることができません。

まだまだ視野が狭いということだと思います。




私の方が恵まれているかと聞かれると、答えに困ります。

私は家族にも友人にも、暮らしも困っていないので恵まれていますが、
村の人よりも恵まれているのかと言われると、
基準がよくわからないので、答えがわからない。

彼らは、私と同じ暮らしをするよりも、今の方が幸せなのではないか。どうなのだろう。

村での暮らしを見ると、いつも同じことを考えています。




日が落ちてくる頃。





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