ウエストベンガルの村は、とってものどかでした。
一方で土地のない家庭は、生活が苦しいことが多く、
家を見るだけでもわかります。
たとえば、次の写真の家は、
手前の、もともと壁だったものしかなくなって、草が生えている部分に住んでいたのですが、
雨期の激しい風雨で壊れたそうです。
手作り感満載の家。
そりゃ壊れるでしょうと思いました。
材料も買えないと、あるもので済ませるしかないので、こうなったのではないかと思います。
後ろにある家(黒いビニールを壁に貼っている、窓が開いてるところ)は、
元々はNGOの支援で作った、鶏小屋です。
そこに今は住んでいます。
(窓のある家の後ろは、壁はくっついていますが、また別の家です。)
鳥小屋だったとしても、屋根と壁がある場所があったのが、
不幸中の幸いだったのかもしれません。
2枚目の写真は、川にかかった橋と、お手洗い(右)。
トイレは川の上に出られるようになっていて、便器とかがあるわけではありません。
このトイレを使っている家は、家もところどころ壊れています。
経済的に恵まれない暮らしをしているので、
本来であれば国の、家を補修する支援が受けられるはずなのですが、
法律はあるものの、きちんと施行されていないので、恩恵を受けられていませんでした。
この家は農家ですが畑がないので、
畑を借りるか、労働力を日当たりで売って生活するという暮らしです。
何人男の子を産めるか、育てられるかで、
家の働き手の数が決まり、収入が決まるという暮らし。
女の子は嫁に行きますが、
男の子は複数人いても、結婚しても実家に住み続けることが多いので、
その家の働き手であり続けます。
こういう家庭に行くと、
本人は、自分の生活のことをどう捉えているのかなと思います。
村の生活は、もちろん大変なことも多いでしょうが、
楽しいことも、たくさんあると思います。
村の人たちは大家族で暮らしていて、子どもがたくさんで、
子どもたちは、楽しそうにじゃれあっています。
そしてまた、私だったらこの暮らしは幸せなのかとも考えます。
いつも、考えても、結論は出ません。
私の暮らしとはかけ離れていて、想像が追いつかないからです。
生まれてからこのかた、熱を出しても、清潔な病院に行けない暮らし。
友だちと美味しいものを食べて、ワインを嗜むことはない。
家族はたくさんいて、みんなで、質素でも、ご飯を囲むのは楽しそう。
毎朝起きて畑仕事をするのは、健康的なのかもしれない。
でも休みたくても、休むと暮らしに困窮する。
と、巡り巡り考えますが、私にはまだまだ、ここの暮らしは理解できていません。
私は、人生、幸せを追求していきたいと思っているので、
よく自分にとっての幸せについて考えるのですが、
普段考えるときと、観点が違いすぎて、うまく考えることができません。
まだまだ視野が狭いということだと思います。
私の方が恵まれているかと聞かれると、答えに困ります。
私は家族にも友人にも、暮らしも困っていないので恵まれていますが、
村の人よりも恵まれているのかと言われると、
基準がよくわからないので、答えがわからない。
彼らは、私と同じ暮らしをするよりも、今の方が幸せなのではないか。どうなのだろう。
村での暮らしを見ると、いつも同じことを考えています。
一方で土地のない家庭は、生活が苦しいことが多く、
家を見るだけでもわかります。
たとえば、次の写真の家は、
手前の、もともと壁だったものしかなくなって、草が生えている部分に住んでいたのですが、
雨期の激しい風雨で壊れたそうです。
手作り感満載の家。
そりゃ壊れるでしょうと思いました。
材料も買えないと、あるもので済ませるしかないので、こうなったのではないかと思います。
後ろにある家(黒いビニールを壁に貼っている、窓が開いてるところ)は、
元々はNGOの支援で作った、鶏小屋です。
そこに今は住んでいます。
(窓のある家の後ろは、壁はくっついていますが、また別の家です。)
鳥小屋だったとしても、屋根と壁がある場所があったのが、
不幸中の幸いだったのかもしれません。
草が生えているのが、元々家の会った場所。 写真の女性は通りがかりの人。 |
これはまた別の場所です |
トイレは川の上に出られるようになっていて、便器とかがあるわけではありません。
このトイレを使っている家は、家もところどころ壊れています。
経済的に恵まれない暮らしをしているので、
本来であれば国の、家を補修する支援が受けられるはずなのですが、
法律はあるものの、きちんと施行されていないので、恩恵を受けられていませんでした。
茅葺屋根の茅が・・・少ない。 |
この家は農家ですが畑がないので、
畑を借りるか、労働力を日当たりで売って生活するという暮らしです。
何人男の子を産めるか、育てられるかで、
家の働き手の数が決まり、収入が決まるという暮らし。
女の子は嫁に行きますが、
男の子は複数人いても、結婚しても実家に住み続けることが多いので、
その家の働き手であり続けます。
こういう家庭に行くと、
本人は、自分の生活のことをどう捉えているのかなと思います。
村の生活は、もちろん大変なことも多いでしょうが、
楽しいことも、たくさんあると思います。
村の人たちは大家族で暮らしていて、子どもがたくさんで、
子どもたちは、楽しそうにじゃれあっています。
どの家にも子どもの姿 |
そしてまた、私だったらこの暮らしは幸せなのかとも考えます。
いつも、考えても、結論は出ません。
私の暮らしとはかけ離れていて、想像が追いつかないからです。
生まれてからこのかた、熱を出しても、清潔な病院に行けない暮らし。
友だちと美味しいものを食べて、ワインを嗜むことはない。
家族はたくさんいて、みんなで、質素でも、ご飯を囲むのは楽しそう。
毎朝起きて畑仕事をするのは、健康的なのかもしれない。
でも休みたくても、休むと暮らしに困窮する。
と、巡り巡り考えますが、私にはまだまだ、ここの暮らしは理解できていません。
私は、人生、幸せを追求していきたいと思っているので、
よく自分にとっての幸せについて考えるのですが、
普段考えるときと、観点が違いすぎて、うまく考えることができません。
まだまだ視野が狭いということだと思います。
私の方が恵まれているかと聞かれると、答えに困ります。
私は家族にも友人にも、暮らしも困っていないので恵まれていますが、
村の人よりも恵まれているのかと言われると、
基準がよくわからないので、答えがわからない。
彼らは、私と同じ暮らしをするよりも、今の方が幸せなのではないか。どうなのだろう。
村での暮らしを見ると、いつも同じことを考えています。
日が落ちてくる頃。 |
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